まわり灯籠

「無理して飲んじゃいけないと~」

おもいで酒に酔うばかり~♪ 平成11年の兵舞協の新年総会で実兄 梅谷忠洋の作曲した演歌を歌ったのが委員就任の挨拶でした。
カラオケの当たりくじを引き、それならば・・・と踊り馴れている唯一の演歌”おもいで酒”を振り付きで披露し、理事の先生方に「この席で踊るとはエライ度胸や!」と驚かれました。
幼い頃、着物姿で舞っている人を見て「あんなんやりたい」と母に言ったのを機に近所に稽古に来られていた花柳晶姿師の門弟となりました。
父は稼業の畳とインテリアの会社経営が厳しかったにもかかわらず、身体に財産をつけてやりたいとの思いで毎年舞台に立たせてくれました。
入門当時、晶姿師も親師匠の和泉師の元で男舞をみっちり勉強されていた事もあり初舞台から大半は男踊り。白足袋を履いた舞台は成人するまで皆無に近かったと思います。
京都の置屋の女将さんから舞妓さんを勧められた時、父が勝手に断ってガッカリ。宝塚歌劇の入試要項を求めた時、男役に身長が足りずこれまたショック。
落胆しながらも日舞の稽古だけは休むこと無く、昭和52年二十歳で名取り取得。結婚後、主人の留学でフランス在住の際にニース公演の帰りに立ち寄られたパリのホテルで兵舞協の先生方を出迎えた事も遙か昔の記憶になっています。
流派を越えて多くの方と舞台を造った喜びを一番感じたのは”兵庫旅情”初演の時。
まだ役員になる前の若き同朋と”摂播の五泊”を学び、フィナーレでは重鎮の先生方に混じりリオのカーニバルよろしく派手な格好でダンスした経験は芸の幅を広く持たねばならないという座右の銘に繋がりました。
一昨年はパリのジャパン・エキスポ出演が叶い、また新たな風が吹いてワクワクしています。踊り続ける為に週2回の筋トレは必須!と主人の忠告に素直に従い、芳利喜師匠の丁寧な指導で研鑽を積んでいます。

2015年3月発行 兵舞協だより 「まわり灯篭」に掲載